オレンジの光が、教室に差し込む。
柔らかい空気に抱かれて、麻美はベランダに出た。
三階から望む校庭には、まだ残っている児童がたくさんいる。その中の一人を、麻美は待っていた。
「理奈ちゃん!」
名前を呼べば、理奈はこちらに気付いて手を振る。
「もうすぐ終わるから」
「はーい」
陸上クラブに所属している理奈は、間もなく訪れる大会のため、日々練習に励んでいる。
普段なら、星来と華月も一緒に待っている。
しかし、今日は二人共用事があると言って先に帰ってしまった。
だから今日は、麻美一人だけで残っているのだ。
「あれ、麻美ちゃん?」
後ろから声がして振り返る。
開けっ放しのドアからこちらを覗いていたのは、いつか追いかけたあの顔。
「
「うん、クラブ活動で。麻美ちゃんは?」
麻美は教室に入るのを躊躇っている希恵に手招きして、ベランダに招き入れる。
そして、校庭で活動中の陸上クラブを指差した。
「理奈ちゃんを待ってるの」
「あー、代表だもんね」
五年生になってクラスが変わった今も、希恵とはよく話をする。
特に星来や華月とは、去年の騒ぎが嘘のように仲が良い。
「……変わったね」
「何が?」
麻美の唐突な言葉に、希恵が首を傾げる。
「去年までと比べて、希恵ちゃんも、周りの人達も変わったよね」
昨年の夏までは、あれほどまでに暗くて影が薄かった。
しかし、今ではその欠片も感じられないほど明るい。
それによって、周囲の人達の希恵に対する雰囲気も大きく変わったようだ。
「それは、皆のお陰だよ」
希恵が照れたように微笑んだ。
そして、手すりにもたれて校庭を覗き込む。
「もしも華月ちゃんが転校して来なかったら、もしも皆が犯人探しをしなかったら、そしてもしも、皆が途中で諦めてたら……、私はあのまま、変われなかったと思う」
そう言って、希恵は目を細めた。
そうやって周囲に感謝できる辺り、事件を通して希恵が成長したのだろう。
「偉いなあ」
「何が?」
再度首を傾げる希恵に、麻美はクスリと笑った。
「だって、たった八ヶ月でそんな風に思えるようになったんだもん」
麻美ならきっと、自分が努力したのだと勘違いしてしまいそうだ。
周りの関わりなど、感謝どころか気付きもしないだろう。
「私なんて、何にもできないのに……」
「そんな事ないよ」
溜息を吐いて自嘲する麻美に、希恵が首を振る。
「私、麻美ちゃんに助けられる事が沢山あるんだよ? 麻美ちゃんが笑ってくれるだけで、幸せな気分になれるの」
希恵はそこで一旦言葉を切り、麻美の様子を見た。
「私なんかより、希恵ちゃんの方がずっと偉いと思うよ。笑顔で人を幸せにするなんて、簡単にできる事じゃないもん」
希恵は拳を作って、一生懸命に語りかける。
「……そっか」
正直、どんな風に偉いのか、今ひとつ理解できなかった。
けれど、一つだけ分かった事がある。
「私でも、誰かの力になれるかもしれないんだね」
「うん」
希恵が笑顔で頷くと、麻美も自然に笑みがこぼれた。
こんな自分でも、誰かの役に立てるかもしれない。
ただそれだけで、こんなにも嬉しい。
「ありがとう」
「どういたしまして?」
笑顔を返す希恵だが、言外に、「何の事か分からないけど」と付け足された気がする。
しかし、麻美はそれに構わず、思い切り息を吐いた。
「さあ、理奈ちゃんも終わったようだし、行こうかな」
校庭にいる理奈が、ベランダの麻美に手を振る。
麻美は理奈に手を振り返し、教室に入ると希恵に振り向いた。
「希恵ちゃんも一緒に帰ろう」
希恵は一瞬、呆気に取られたようだったが、すぐに目を細めて頷いた。
「うん」
いつも胸に留まっていたもやもやが、一気に抜けたような気がする。
それはきっと、希恵のお陰だ。そう思いかけて、麻美は気付いた。
「希恵ちゃんも、笑顔で人に元気を与えてるのね」
「え?」
階段を下りる足を止めて、希恵が振り向く。
相手には多分、こちらの表情は逆光で見えない。
そう分かっていても、麻美は笑顔を消す事ができなかった。
「やっぱり、ありがとう」
満ち足りた気分の麻美に、希恵は困惑の表情を浮かべる。
「やっぱり、何の事か分からないよ」
「希恵ちゃんはそれで良いの」
麻美は小さく笑うと、首を傾げる希恵を追い抜いた。
「早く行こう」
「ま、待ってよー」
駆け出す頬を、一筋の風が掠めた。