四月十二日。
中学校へ続く桜並木が薄紅色に染まり始めるこの季節、天野家はいつも慌しい。
「理奈は飾り付けお願い。麻美は向こうの部屋に料理運ぶの手伝って!」
料理をする母の信子を手伝いながら、星来は二人に指示を出す。
「早くしないと、華月が来ちゃうわ!」
盛り付けを終えた大皿を麻美に押し付けて、自分もいくつか器を持って奥の和室へ急いだ。
「理奈、調子はどう?」
「いい感じ。そっちは?」
テーブル周りの装飾をしていた理奈が、手を休めずに答える。
星来は飾りの合間に皿を置くと、振動で倒れてしまった折り紙の花を直した。
「こっちも順調よ」
二人が話している間にも、麻美が次々と料理を持って来る。
「これで最後だよ」
取り分け用の皿をテーブルに置いて、麻美は満足そうな表情を浮かべた。
「後は主役を待つだけね」
「早く来ないかなあ」
「さっきまで『早くしないと来ちゃう!』って焦ってたくせに」
それぞれの仕事を終えて、急に静かになった和室で、三人の呟くような声だけが響く。
彼女達は顔を見合わせると、笑みを浮かべて互いに頷いた。
「絶対に喜ばせるわよ」
「それはもう」
「勿論だよ!」
「あ、もう咲いてる」
学校からの帰り道、華月は通学路に咲いている桜を見付けては、嬉しそうに目を細めた。
「今年は咲くの早いなあ。暖冬だったからかな?」
桜に語りかけるように、華月は呟く。
近くに通行人がいないから良いものの、誰かが見ていたら変な顔をされただろう。
そんな事にも気付かず、華月は小さな花に見入っていた。
「かーげつー!」
空の茜が濃くなった頃、桜並木の向こうから、華月を呼ぶ叫び声が聞こえた。
何事かとそちらを見れば、いつの間に着替えたのか、私服姿の星来が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「星来、何で……」
その時、華月はあっと思った。
「何でですって? ずっと待ってたのになかなか来ないから、様子を見に来たに決まってるじゃない!」
すっかり怒ってしまった星来に、華月は慌てて手を合わせる。
「ごめんごめん、忘れてた訳じゃないの」
「本当に? 何でって言ったのに?」
疑いの眼差しを向けられ、華月はただ謝るしかなかった。
華月はこの日、星来の家に招待されていた。
目的は分かっている。
「本当だってば。自分の誕生日だよ、忘れる訳ないでしょ」
必死に言い訳を考えるが、星来の機嫌は一向に良くならない。
「折角華月の誕生日会をやろうと思って準備してたのに、主役が来ないってどういう事なのよ」
「だから、ごめん」
華月はもう一度頭を下げ、ずっと合わせていた手で上を指した。
「桜が咲いてたから、つい見入っちゃって」
星来は華月の指先をチラリと見、その後、眉間のしわを解いて重くなった枝先を見上げた。
「本当だわ。もう咲いてるのね」
「嬉しかったから、思わず時間を忘れちゃったの」
ごめん、ともう一度告げると、星来は小さく笑って首を振った。
「相変わらずなんだから」
「そうだよ、相変わらずだもん」
二人は揃って肩をすくめ、また頭上の花を見上げる。
小さな花はまだ頼りなくて、開いたばかりのようだ。
「桜からのプレゼントね」
「何かそれ、すごく嬉しい」
二人はそれから、暫くの間桜を見詰めていた。
気が付いた頃には、空は既に暗い青に染まっていて、星来が辿って来た道は不気味なほどに静まり返っていた。
星来の腕時計は、華月を迎えに家を出てから、もう三十分も過ぎていた。
「大変、皆待ってるのよ!」
「誰が待ってるって?」
慌てて帰ろうとした星来達の前に、二人よりも頭一つ大きな影が立ちはだかった。
「理奈!」
「まったく、いつまで経っても帰って来ないから、二人で見に来たんだよ」
腕組みをする理奈の後ろから、麻美がひょこっと顔を出す。
「おばさんも心配してたよ、早く帰ろう」
怒っているような理奈と、いつもの笑顔を浮かべている麻美の顔。
星来と華月は一度顔を見合わせ、心配して迎えに来てくれた二人に目を向けた。
そして、一連の動作を合図代わりに、同じタイミングで頷いた。
「うん」
天野家に向かう道を、四人は薄暗くなった路地を、並んで歩いた。
華月と星来を中心に置いて、色々な話をして、笑い合いながらの帰り道は、それぞれの胸に暖かい感覚を残してくれた。
「華月」
家に着く直前、星来が華月の名前を呼んで駆け出すと、理奈と麻美もそれに続いて前に出た。
そして、華月の前に整列すると、三人は「せーの」という合図と共に、元気な声を華月に投げかける。
「誕生日おめでとう!」
突然の事に、華月は暫くの間目を丸くしていたが、すぐに目を細め、歯を見せて笑った。
「ありがとう」
その声は、春の空に吸い込まれて、広く響き渡った。