陽射しが柔らかな午後、私は学校の隣にある神社に来ていた。
境内の一角にある、大きな御神木の根元は、この辺りでは一番落ち着くお気に入りの場所だ。
少し前まで、桜の花弁が境内を埋め尽くしていて、絶景としか言い様がなかったのだが、今では全部散ってしまい、花が咲いていた所には若葉が顔を覗かせている。
「でも、これはこれで可愛いもんね」
見上げて、薄くて頼り無げな葉を愛でる。
今は明るい色をしているが、これが段々と色を濃くして、やがて雨にも負けない立派なものになるのだ。
命は儚いとよく言うが、これを見ていると、儚さの中にある強さを感じられる気がする。
「にゃー」
「ん?」
小さな葉に見入っていると、足元から声が聞こえた。見ると、小さな茶トラの猫が私を見上げている。
「あら、猫さん」
しゃがんでも逃げる事は無く、猫は私の足に擦り寄ってきた。
「懐っこいのね」
「にゃーお」
猫は答えるように鳴くと私を見上げ、次に御神木の根元に目をやる。座れ、ということだろうか。
促されるまま、太くて立派な根に腰を降ろすと、猫はそれを待っていたように、私の膝に飛び乗り丸くなった。
「お昼寝場所を探してたの?」
「にゅー……」
消え入りそうなほど小さな声を返すとそれ以降、鳴き声らしい声は聞こえなくなった。
代わりに聞こえてくるのは、規則正しい寝息と、寝言のような小さな声だけ。
「……ま、良いか」
この後、急ぎの用事があるわけではないのだ。
そう思い至り、眠り続ける猫の背を撫でた。身じろいだが、目は覚まさない。
「可愛いなぁ」
余程人に慣れているのか、猫は無防備な寝顔を曝け出している。
「…………」
静かだ。
人の声は遠く、風も穏やかで枝葉が揺れるだけ。
こんな時を過すのは、どれくらい振りだろう。
確か中学生の頃、仲の良い友人三人と近くの山に行った時、あれが最後だった気がする。
最近はこの学校に入学したばかりで、慣れるのに精一杯だったから、のんびりする時間を忘れてしまっていたのだろう。
「……のんびり、しますか」
折角天気が良くて暖かいのだ。
猫も眠っているし、このまま一緒に眠ってしまうのも良いかも知れない。
柔らかい風が吹き、どこからか木の葉を運んで来る。
それと同時に、心地良い眠気に襲われた。
私はそれを拒む事なく迎え入れると、幹にもたれて軽く目を閉じた。
「……ん」
肌寒さを感じ、瞼を上げた。
枝の間から覗く空は、茜色に染まりつつある。
一体、どれ位眠っていたのだろう。
膝に丸まっていた猫も、いつの間にか消えている。
「んーっ、寝た!」
「だろうな」
声が聞こえて、慌てて隣を見る。
そこでは同級生の男子が、私と同じように幹にもたれて本を読んでいた。
「いつからそこに?」
「少し前から」
訊ねると、彼は少し間を置いてから本を閉じる。
そして立ち上がり、私に右手を差し出した。
「帰るぞ」
ぶっきらぼうに言う彼の表情が可笑しい。
私は込み上げる笑いを、気付かれぬよう何とか押し殺す。
そして、
「うん」
私はその手を取って立ち上がり、彼と並んで歩き出した。
「綺麗ね」
「……ああ」
夕陽に染まりゆく町を見下ろして呟く。
隣を歩く彼も、同じように見下ろして頷いた。
あの猫はどこの猫で、一体どこへ行ってしまったのか。思う事は沢山ある。
けれど、たまにはこんなのも良いかも知れない。
こんなにも美しい景色を見られたのだから。