「この時間は、絵を描いてもらいます」
図工の時間、先生は言うと、黒板にテーマを書いた。
深緑の板に浮かび上がる、白い文字。
“私のふるさと”というテーマは、私を悩ませるには充分すぎた。
「ふるさと……」
この世に生れてから、十年ほどしか生きていない私は、“ふるさと”というものを意識した事がなかった。
引っ越しを幾度か経験したことはある。
だが、前に住んでいた所が“ふるさと”かというと、そうでもない気がする。
“ふるさと”とは、思い出した時に暖かくて、同時に切ない気持ちになるような場所を指すのだと、私は思う。
しかし、私がこれまで住んでいた場所への思いは、暖かさや切なさの感覚とは程遠い。
もっと違う所に、私の“ふるさと”があるような気がしてならないのだ。
「かーげつ、描けそう?」
悩む私に、星来が声をかけた。
理奈と麻美も、私の周りに集まる。
「まだ考え中」
首を振る私に、三人は安堵の表情を浮かべた。
どうやら、彼女達も思い付かないらしい。
「イメージはあるの」
ただ、漠然としているだけ。
心にある懐かしさを追いかけると、まるで濃い霧がかかったように何も見えなくなる。
そこにあるはずの“ふるさと”が、私に見付けられる事を拒んでいるようだ。
「私もよ。そこにあるはずなのに、形が全く見えないの」
星来が悲しそうに目を閉じる。
「泣きたくなるくらい懐かしいのに、思い出そうとすると逃げられちゃうのよ」
触れそうで触れられないもどかしさ。
それを感じているのは、私だけではないようだ。
「似たようなものでも、見ればスッキリするんだろうけどね」
「だったら、図書室に行って来たらどうだ?」
理奈の呟きに、返す声があった。先生だ。
「良いの?」
「思い付かないなら、仕方ないだろ」
先生は答えると、皆に聞こえるように声を張り上げた。
「資料が欲しい人は、図書室に行って来て良いぞ」
すると、その言葉を待っていたように、数人が席を立ち教室を出て行った。
「私達も行こう」
「うん」
私達も彼らに続いて、揃って教室を出た。
四階建て校舎の二階に、図書室はある。
ここには児童書から事典まで、幅広いジャンルが揃っている。
私は数あるジャンルの中から、歴史関連の本が並べられたコーナーに立ち止まった。
目に入った本を、手当たり次第に開いては棚に戻す。
それを繰り返す内に、私は気になる写真を見付けた。
「これだわ」
全てピッタリ合う訳ではないが、思い描いていたものによく似ている。
私はその本だけ借りて、三人を残して図書室を出た。
「もう良いのか?」
「はい、バッチリです」
教室に戻ると、先生は驚いたように目を見開いた。
私は先生にブイサインを返して、借りた本を見せてみる。
「随分渋いのを借りて来たね」
表紙を見て、更に驚いた様子の先生に、私はにこりと笑う。
「これが一番しっくりくるんです」
「そうか」
先生は納得したように微笑むと、「頑張れ」と頭を軽く叩いて、私から離れた。
私が借りた本、それは、有名写真家の写真集。
その中の一つ、江戸時代から続く町屋の写真に、私の“ふるさと”像が同調した。
行った事がないのに、写真を見ただけでどんどんイメージが湧いてくるのだ。
「よし、描くぞ!」
私は真っ白な画用紙に、浮かんでくるイメージを次々に描き込んでいく。
網目に張り巡らされたいくつもの道、その両脇に隙間なく建てられた無数の町屋。
街の北には小高い丘があり、そこに巨大な城が建ち、その後ろに、形の美しい大きな山が堂々とかまえている。
そして、街のあちこちで桜が咲き、紺色の空には大きな満月が浮かんでいるのだ。
それ等を、下書きもせず一気に仕上げてしまった。
これが、私の“ふるさと”だ。
その後、私は市の絵画コンクールにその絵を出展し、見事金賞を受賞した。
「でも、今思うと不思議だと思う」
私は隣にいる二人の友人に、あの時の事を話していた。
二人は真剣な顔をして、私の話を聞いている。
あれから数年が経ち、私は今年で十六歳になった。
全寮制のこの学校に入学する為に、私は家族でこの町に越して来たのだが……。
「何で、あんな絵を描けたのかな?」
この町は、あの頃私が思い描いていた“ふるさと”そのものだったのだ。
古い町並みに、丘にそびえる天守閣など、私のイメージと違わずそっくりだ。
「一度も来た事がないはずなのにね」
「きっと、何かあるのね」
腰まである長い髪を揺らして、彼女が微笑む。
その兄も、穏やかな口調で言った。
「昔、この町にいた時があったんじゃないか?」
「そうかもね」
私は過去世とか信じてしまうタチだから、彼の言葉も抵抗なく受け入れてしまう。
もしかしたら、本当に……。
真実は、私の魂だけが知っている。