広場に入ると、中央に佇む風馬が真っ先に目に入った。
風馬は私達に気付くと、しなやかな尻尾を大きく振って鼻を鳴らした。
「こんにちは」
近付いて鼻を撫でようとしたけれど、それは正悟君の手によって止められる事になる。
「待って。こいつは昨日の奴と違って、少し気が荒いんだ」
迂闊に近付くと危ないよと言って、正悟君は私の手を引いて自分の後ろに押しやった。
「昨日の子じゃないの?」
「昨日のは兄ちゃんの。こっちは俺の」
正悟君が風馬に近付き、鼻筋を撫でると、風馬はフンと鼻を鳴らして頭を上下させる。
最初は喜んいるのかと思っていたけれど、正悟君の手を噛もうとしているのを見てそうではないと分かった。
「風使いは半人前になると、一人につき一頭ずつ風馬を与えられるんだ。
風馬は優しくて主人に忠実な動物だけど、こいつらに認められるには、相当な努力が必要なんだ」
正悟君は苦笑して、彼の手をしきりに追いかける風馬を見詰めた。
「一人前に昇格するには、相方の風馬に認められないといけない。それが試験合格の条件の一つになっているんだ。
どんな態度が『認めた』事になるのかは、固体によって違うようだけど、少なくても……こんな風に手を噛もうとするのは、誰が見たって認められているとは思えないよな」
そう言う正悟君はどこか寂しそうで、痛そうに微笑む眼差しには諦めの色が滲んでいるように見えた。
「正悟君……」
「昨日麻美が言ったように、風使いとしての技術や知識は、一人前とそう変わらない。
試験科目がこの二つだけだったら、とっくの昔に俺は一人前に昇格しているはずなんだ」
それなのに昇格できていない理由……。私達は顔を見合わせ、続いて風馬を見た。
今まで自分の主人である正悟君を噛もうと躍起になっていたが、どうやら諦めたようで静かに足元の雑草を食んでいる。
「もし、足りないのが技術か知識のどちらかで、後で確実に身に付けられると判断できる場合は、お情けで合格できる事もあるけれど、風馬は心がある生き物だし、万が一暴走し出したら止められる者がいなくなってしまう。
そうなると人の命にも関わってくるから、風馬との信頼関係が築けているかどうかというのは他のどの項目より重視されていて、どんなに術の使い方が上手くても知識があっても、これ一つ足りないだけで試験は不合格になってしまうんだ」
眉をひそめて「厄介だよな」と言って、正悟君は再び風馬に手を伸ばした。
さっきは触ってから反応した風馬だが、今度は触れる前から頭を振って彼の手を払い除けようとしている。
「あと二週間……いや、そんなにないな。俺の誕生日は五日だから……九日しかない」
「それしかないの?」
今日を入れれば十日になるが、それで安心できるかといえばそうでもない。
「あの、私、何かできないかな? 日中は塾があるから来られないけど、夕方なら少しは……」
もしかしたら朝も早く起きれば来られるかもしれない。家族には、早く行って勉強したいからとでも言っておけば……。
我ながら良い考えだ。嘘を吐くのは忍びないけれど、これで人助けができるのであれば安いものだ。
次から次へと湧いてくる名案に何度も頷き、いつの間にか下に向けていた目線を上向けて正悟君を見た。
彼は少しだけ目を見開いて、驚いた顔をして私を見詰めている。
そこで私は自分が出過ぎた事を言ってしまった事に気付き、サッと頭から血が引いていくのが分かった。
「驚いたな」
そう言った正悟君に、私は慌てて頭を下げる。
「ご、ごめ……」
「こっちが言おうとした事だったのに」
「え?」
私の謝罪の言葉を遮って、正悟君は笑う。
そして、風馬に向けていた身体を回転させて私に向き合わせると、一歩こちらに近付いた。
「麻美がいると、無謀だと思えるこの事態にも、微かだけど光を見出す事ができるんだ。そこで、お願いがある。
どんなに短い時間でも構わない。毎日ここへ来て来てくれないかな? 俺は朝日が昇ってから夜暗くなるまでここにいるから、その間であれば麻美の都合の良い時で構わない」
その言葉に、私は心底驚き目を丸くした。
私は幸運の女神ではない。この場にいるだけで事態が好転するとも思えない。
それ以前に、私は彼が抱えている現状をほとんど知らないのだ。そんな事で、一体私に何ができると言うのだろう。
「……ここへ、来るだけ? それだけで良いの?」
「来てくれるだけで良い。……もしかしたら、手伝ってもらう事があるかもしれないけれど」
半信半疑、どちらかというと疑う気持ちの方が強い。
自分でも、それが滲み出ていると分かる声を投げかけると、正悟君は迷いのない真っ直ぐな瞳を私に返してきた。
「来て、くれるかな?」
不安そうな眼差し。
この人は何を言っているのだろう。そんな事、決まっているというのに。
「良いとも!」
お昼のご長寿番組の真似をして言うと、正悟君は「何だよそりゃ」と噴き出した。