恋風 ‐こいかぜ‐

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第4話 結界を張る理由



 バスを降りる前に腕時計を見てみると、時間は昨日より少し早いくらいだった。
 今日は雲が多いせいか、塾を出た時にはとんでもなく蒸し暑かったが、今は程よい風が吹いているから、暑さはあまり気にならない。
 時折強くなる風に髪の毛をかき上げられながら、私は翻るワンピースの裾を鞄で押さえた。

 誰も入ろうとしない公園の入口を前に立ち、左右と後ろに誰もいない事を確認してから、また公園の中に意識を向ける。
 今朝はつい笑って手を振ってしまったが、さてどうしよう。宙に浮かぶ超人の言葉に従って、素直に入ってしまっても良いものだろうか。
 公園の入口に突っ立って考えていると、急に強い風が吹き付けた。
 風は私の背中を押すように吹いていて、突然の事に対応できなかった私は思わずよろけて、片足を公園の中に踏み入れてしまう。
 するとその瞬間を待ってましたと言うように、足と一緒に敷地内に進入した手を中からぐいっと引っ張られ、私はあっという間に公園の中に引きずり込まれた。

「きゃ」
 元々よろけていたから、いまいちバランスが良くなかった私は、引っ張られる力に抗う事ができず、踏ん張っていた左足を残して硬いコンクリートに向かって勢い良く倒れ掛かった。
 片手には鞄、もう片方の手は未だ掴まれているから、両手で衝撃を吸収する事ができない。
 どんどん地面が近付いてきて、身体が落ちる速度も速くなる。
 ぶつかる!
 来るべき衝撃に備えて、ぎゅっと目を瞑った。

 が、一秒経っても五秒経っても、予想していた痛みはやって来ない。
 その代わりに、私の両肩が何かしっかりとしたものに支えられている事に、遅ればせながら気が付いた。

 恐る恐る目を開けてみる。
 まず目に入ったのは、視界いっぱいの白。一瞬ぎょっとしたけれど、すぐにそれが布である事に気付く。
 少し視線を下にずらすと、踏み固められた白い土と、男物の黒っぽい靴が。
 次に自分の肩を見てみる。……手だ。私を支えていたのは、少し筋張った、私よりも大きな手だった。
 そして最後に、肩に置かれた手を辿って徐々に視線を上へ移していく。
「お帰り」
 目が合うと、手の持ち主はにこっと人懐っこい笑みを浮かべた。
 今朝の人……お化け改め、超人だ。

 彼は私を真っ直ぐ立たせると、私の手を引いてさっさと歩き出してしまう。
 行き先は、緑溢れる遊歩道……昨日私達が出くわした、広場へ行くのだろう。
「あ、あのっ」
「さっき入口で何してたの?」
「え?」
 彼は歩きながら、横目で私を見た。
 スタスタと歩いているように見えるが、私が一緒に歩くのに大変さを全く感じないから、さりげなく歩幅を合わせてくれている事が窺える。
「君の姿が見えたから暫らく待っていたけど、なかなか入って来なかったから」
「み、見てたんですか?」
「うん、見てた」
 考えてみれば、私を公園に引き込んだのは彼なのだから、見えていて当然だろう。
 納得しかけて、はたと気が付いた。
「でも、私からは人の姿なんて見えませんでしたよ?」
 出入り口には隠れられる場所はない。相手には私が見えていたのだし、私からも中の様子が見えて良いはずだ。

「そりゃそうだ。結界を張っているんだから」
 また『結界』か。
「結界って、修行とかの妨げになるものを入れないように施すものでしょう?」
「内陣と外陣の間という意味もあるよ」
「知ってます。さっき調べました」
 国語の勉強中、辞典を開く機会があり、その時に調べてみたのだ。仏教の用語のようだが、近くに寺などないこの公園に、なぜ『結界』なのだろう。
「修行のためさ」
 私の疑問に答えるように、彼が言った。
「修行って?」
 訊ねる私に、彼は足を止めて振り返る。私も歩くのを止め、少し高い位置にある彼の顔を見上げた。

「一人前の風使いになるための修行だよ」
 細い遊歩道を突風が吹き抜け、道に突き出した木の枝を強く揺さぶった。



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