恋風 ‐こいかぜ‐

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第6話 風使い


「俺達はここら辺の住人じゃないんだ」
 遊歩道を抜けた先の広場で、二つあるベンチの内一つに私を座らせると、正悟君は話し始めた。
 お兄さんの大悟さんは、近くの自動販売機で冷たい缶のお茶を三つ買ってきて、私と正悟君に一つずつ手渡すと隣のベンチに腰掛けた。
 正悟君は大悟さんに短くお礼を言って、自分も私の隣に座って話を続ける。
「ここへは、兄ちゃんの仕事の都合で来た」
「お仕事?」
 細かい水滴が付いた缶をハンカチで拭きながら首を傾げる私に、兄弟は揃って頷いた。
「どんなって聞いても……?」
「人探し。それ以上は言えない」
 おずおずと訊ねた私に、大悟さんはハッキリと言った。
「個人情報とか色々抱えてるからな、あまり他人には話せないんだ」
「そうなんだ」
 まるで、「兄ちゃんは怒っていないよ」と言うようにさらりとフォローして、正悟君は私を安心させてくれた。

「あれ、じゃあ……正悟君、はどうして一緒に来た、んですか?」
「無理して敬語使わなくて良いよ。歳だって大して変わらないんだろうから」
 同年代の人を相手に敬語を使う事に違和感を感じて、所々言葉に詰まっていた私を見兼ねてか、正悟君は苦笑いする。
 私は彼の気遣いを嬉しく思う反面、美しい立ち振る舞いというものができない自分が恥ずかしくて、思わず手にした缶のプルタブに視線を落としてしまった。
「う、うん。そうする、ね」
「どっちにしてもぎこちないな」
 正悟君は小さく笑うと自分のお茶を開封して一口啜り、長く伸びた三つの影を見詰めた。
 大悟さんは何も言わないが、影を見ると一人だけ別の事をしている様子はなく、私達の会話に耳を傾けているようだった。
「……俺がここに来たのは、兄ちゃんの手伝いもあるけど、一番は自分の勉強のためなんだ」
「勉強?」
「そう、勉強」
 正悟君は頷き、すくっと立ち上がる。
 何だろうと思ってその動きを目で追うと、彼は広場の中心に立ち私の方へ振り向いた。
 そして、右手の人差し指を立て、真っ赤に染まった空に高く突き上げ、何やらぶつぶつと呟いた。

 すると突然、地面から湧き出るようにして風が起こり、その動きは次第に早くなっていった。
 風は正悟君を取り巻くように渦を巻き、小さな広場はたちまち砂埃で多い尽くされ、私は目を開けていられなくなった。
「これっ、正悟君がやってるの?」
 砂粒が剥き出しになった肌に当たって痛い。
 腕で顔を覆った私の隣に、誰か――おそらく大悟さんが移動してきて、何か言ったかと思うと、今まで砂嵐が吹き荒れていたのが嘘のように静まり、手足に感じていたチクチクした痛みも治まっていた。
 私は顔を追ったまま薄目を開け、腕の隙間から外の様子を見てから手を下ろした。
 隣には予想した通り大悟さんがいて、砂嵐は私達だけを避けてまだ続いていた。
「あいつは、風使いとしては、それなりの技術や知識を持っている。……だが、こうして周りへの配慮を忘れる事がある」
「風使い……」
 その単語は、さっき正悟君の口からも聞いた。
 あの時は大悟さんの登場に気を取られてすっかり忘れていたが、もしかしたらものすごく重要事項だったりするのではないだろうか。

「あの、大悟さん」
「何?」
「風使いって、一体何なんですか?」
 私の問いに、大悟さんは「ああ」と言って、正悟君がいる方へ向けて人差し指をクイッと動かした。
 すると今まで渦巻いていた風はあっという間に止み、中心にいた正悟君の姿もはっきり見えるようになっていた。
「何す……」
「まだまだだな。俺は良いとして……橘さんにまで迷惑をかけるな」
 強制的に風を止められて不満そうにしていた正悟君だが、大悟さんの言葉にハッとして、慌てて私の前に駆け寄って来た。
「ゴメン! 痛かったろ? 俺まだ上手く制御ができないって言うか……」
 あわあわと私の腕や服に付いた砂を払い落として、正悟君はもう一度「ごめん」と言った。
「私は大丈夫」
 本当に済まなそうに眉を寄せる正悟君に、私は出来る限りの笑顔で答える。
 そして、シャツの裾に付いた砂粒を払ってやると、彼はほっと息を吐いて表情を和らげた。

「今のように風を起こしたり、逆に静めたり、風の力を借りて空を飛ぶ事もできる。そういう人間を、俺達の住む所では風使いと呼んでいる」
 正悟君が落ち着いた所で、大悟さんの用語講座が始まった。
 大悟さんはベンチから立ち上がって私の前に立ち、正悟君の背中を押して私の隣に座るよう促した。兄の指示のままに、正悟君はベンチに腰を降ろして私と同じように大悟さんを見上げる。
 それを待って、大悟さんはまた話し始めた。
「自然の力を借りて様々な事をする俺達は、当然、周りにも気を使わなければならない」
 周囲の迷惑にならないように、と言う事だろう。そう解釈して、私は頷きながら話を聞いていた。
「例え修行中の身であっても、周りへの注意は怠ってはならない」
 それはそうだ。
 空を飛ぶ練習をしていた所を何も知らない人が目撃したら、目玉が飛び出るほど驚くに違いない。……いや、実際驚いた。
 自分の経験を思い出して、私は更に深く、何回も頷いた。
 隣で正悟君がこちらを見た気がしたが、そんな事はお構いなしだ。何せ、本当に驚いたのだから。

「つまり、今の正悟は、最も欠けてはならないものが足りていない事になる」
 視界の端で、正悟君が手を動かすのが見えた。ちらりと横を見ると、彼は手で額を覆っている所だった。
「そんな事、分かってるよ」
「だったらもっとしっかりしろ」
 この超天然ボケな兄にこんな風に言われてしまったら、正悟君はきっと悔しくて仕方ないに違いない。現に、肩眉を寄せて唇を噛み締めている。
「分かってる」
 そう呟いた正悟君の声はとても小さかったが、広場全体に響き渡ったような気がした。


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