恋風 ‐こいかぜ‐

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第7話 『しか』と『も』


 すっかり黙り込んでしまった正悟君を見下ろして、大悟さんは溜息を吐いた。
「こいつも来年は十六歳になる」
 という事は、今は十五歳。学年に直せば中学三年生だから、私と同い年だ。
「それなら今は、受験を控えた大切な時期ですよね」
「……そうだな」
 彼らの家族が正悟君に何を望んでいるのかは知らないが、さっきの話を聞いた限りでは、二人の家は結構大きくて、歴史も古そうな感じがする。
 そんな由緒ある家なら、いくら次男とは言え、息子をそこら辺の普通の学校へ行かせたがるとは思えない。
 それこそ有名な私立であったり、大学までエスカレーター式になっているような、大きな学校を好むのではないだろうか。

「こいつが今受けようとしている学校は、少し……特殊な学校で、俺達のような奴が沢山集まる所なんだ」
 私は思わず「え」と口に出してしまった。彼らのような人が沢山……果たしてそれは、本当に「少し」なのだろうか?
 大悟さんは私の言いたい事を理解しているようで、少し眉を寄せて「かなりか?」と首を傾げている。
「その学校は選考方法も変わっていて、受験者は筆記試験などではなくて、学校から出された課題を提出し、合格点をもらって初めて入学を許される」
「課題、ですか?」
 筆記試験と違って見直せる時間がありそうだし、緊張する事がないから良いではないか。
 しかし、私の思考を読んだかのように、大悟さんは首を振る。
「期限内に課題を達成するのは、想像以上に難しい。……事実、正悟に残された時間は、あと二週間もない」
「それって短いんですか?」
「短い」
 夏休みの宿題を考えると、まだやろうと思えばやれる期間である。しかし、正悟君の課題とやらは、二週間やそこらで終わるものではないらしい。

「課題って何なんですか?」
 訊いてから、また「言えない」と答えられるのではないかと気付き、少し後悔した。
「こいつの場合は、『十五歳の誕生日が来るまでに、一人前の風使いになる事』だ。これは、生まれた瞬間から決められていた事だが……」
 しかし、大悟さんは先程とは違って、あっさりと喋ってしまった。その事にも驚いたが、それよりも、試験内容が生まれた時から決められていた事の方が衝撃的だった。
「……風見家は、俺達の町でも五本の指に入る位に大きな家だから、その息子が期待されるのは当然だよ」
 これまでずっと黙って下を向いていた正悟君が、やっと口を開いた。何となく重苦しい声が、彼が落ち込んでいるらしい事を私に教えてくれる。
「跡継ぎは長男の兄ちゃんだけど、俺だって用なしって訳にはいかない。いずれは先頭に立って、皆を守らなきゃいけない立場にいるんだよ、俺達は」
「それなのに……」そう呟く、正悟君の心の声が聞こえてきたような気がした。
 そのまま、彼はまた黙ってしまう。

「あまり、落ち込む事はないと思うよ」
 少しの間、私も何も言わずにいたが、とうとう耐え切れなくなって小さく声を発した。
 ずっと下を向いたままだった正悟君と、他所を向いていた大悟さんの視線が急に私に集まって、途端に緊張する。
 二人の視線を意識したくなくて、咄嗟に私は手元の缶を見詰めた。冷たかったお茶はいつの間にか温くなっていて、缶を包んでいたハンカチは冷たく湿っている。
「だって、さっき大悟さん言ってたよ。技術的も知識もそれなりだって。それって、ほとんどできてるって事でしょ? 足りない部分があるって言ってたけど、それもほんの一部なんでしょ?
 だったらきっと、大丈夫だよ。だって、あと二週間もあるんだよ。夏休みの宿題だって、それくらいあれば何とかできちゃうし……そうだ、私にできる事があれば手伝うよ!」
 最後に顔を上げて笑ったが、二人からの反応はない。瞬間、顔に集まった熱がサーッと冷めていくのが分かった。

「ご、ごめんなさい、詳しい事情も知らないのに、勝手な事……」
「……そうだな」
「ああ、本当にごめんなさ……」
 大悟さんの肯定の声に、私は更にパニックになって、頭が真っ白になった。
「落ち着いて」
 あわあわと頭を抱えて謝る私の肩が、ぽんと叩かれる。半泣きのまま隣を見ると、正悟君が優しく微笑んで首を振っている所だった。
「俺達は別に怒っちゃいないよ」
「でもだって、『そうだな』って」
「兄ちゃんは、そういう意味で頷いた訳じゃないと思うけど」
 正悟君に促されて正面を向くと、いつの間にか大悟さんが私の前にしゃがんでいた。驚く私と目線を合わせて、大悟さんは私に言う。
「そうだな、あと二週間もある。何とかなるかもしれない」
 薄い笑みを口元に浮かべて、大悟さんは「ありがとう」と言った。何の事か分からない私は、助けを求めて正悟君を見る。
 正悟君は、今までの暗かった表情から、いつの間にかさっきの明るい彼に戻っている。

「あの」
「そっかー、俺『二週間しかない』って焦ってたけど……そうだよな、まだ時間は残ってるんだよな、うん」
 一人納得し、頷いた正悟君は私に顔を向けるとにかっと笑った。
「ありがとな、麻美。何か元気出た」
「そ、そう?」
 まだ状況を理解できていない私は、その頭で頷くしかできない。
 ただ一つ分かった事は、この兄弟に元気が戻ったらしいという事だけ。それは良い事なのだけれど、どうも分からない。なぜ、二人は私にお礼を……?

「じゃあ、そういう事で、明日からよろしくな!」
「え?」
 未だ混乱が解けないでいる私の頭に、新しい情報が追加される。
「暗いから送って行く」
「兄ちゃん、頼んだよ。俺はもう少しここにいるから」
「……わかった」
 もしも私がコンピューターだったら、フリーズしているに違いない。次から次へと、解読できない情報が積み重なってくるのだから。

 気が付いた時には、私の足は地面を離れていた。ウエストの辺りに腕を回され、お尻の下に何か、固い感触がある。
「へ?」
「動くな、落ちる」
 見てみると、私が座っているのは動物の背中で、大悟さんは私を抱えるようにして、その動物にまたがっているようだった。
 その状況に驚く暇もなく、私達はぐんぐんと空に向かって飛び上がっていく。遠ざかっていく地上では、正悟君が大きく手を振っている所だった。
「な、な、な、な……」
 何なんですか、これは!
 そう言いたかったけれど、言葉にならない。

「普通の人には見えないから、安心して良い」
 耳に届いたのは、私の心の叫びへの答えとしては、程遠い大悟さんの言葉。

 この瞬間、私の脳内コンピューターは完全に作動を停止させた。


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