恋風 ‐こいかぜ‐

BACK NEXT TOP


第10話 多かった一言


「どうしたの?」
 遊歩道の先を見ては溜息を吐く正悟君の顔を覗き込むが、彼はただ首を横に振るばかり。
「正悟君?」
 もう一度呼びかけて俯けた顔を覗けば、彼の眉を寄せた苦しそうな目とぶつかった。その表情を見た途端、私は心配になって、無意識の内に彼と同じように眉を寄せた。
 すると、正悟君は一度は除けた手をもう一度私の頭に置いて、髪をくしゃっと撫ぜた。

「どうして麻美がそんな顔するんだよ」
「だって、正悟君が苦しそうな顔するから……」
 乱された髪を手で押さえながら咄嗟に答えてしまって、私ははっと口を押さえた。こういう事は、あまり本人に言わない方が良い気がしたのだ。
 口に手を置いたまま、恐る恐る目を上向ける。そこでは案の定、ぽかんと呆けた顔をした正悟君が私をぼんやりと見下ろしている。
「そんな顔、してた?」
「し、てたよ。こう、ぎゅーって眉寄せて、口もきゅって結んで」
 こんな感じ、と顔真似をして見せると、正悟君は一瞬目が取れそうなほど丸くして、それから「ぷっ」と噴き出した。

「酷い顔!」
「正悟君だってこんな顔だったんだよ!」
 ぷう、とフグのように顔を丸くすると、正悟君はケタケタと笑って私の頬を指で突いた。
 パンパンに膨らんでいた私の顔は、プ、という小さな音と共に空気が抜けて萎んでいく。
 それを見て、正悟君は楽しそうに口を緩ませた。
「もー!」
「ホント、面白いなあ。くるくる表情変えて……正に百面相!」
「すげー、本物初めて見た!」と、正悟君は笑う。……すっかり元気になったようで。
 私の心配は何だったんだと溜息を吐きつつ、とりあえず数分前の自分を労った。

 それにしても、女の子の顔を見てこんなに笑うなんて、あり得ないのではないか。しかも、「面白い」って……。
 お兄ちゃんだったら、笑いながらも「可愛い」とか言ってくれるし、大悟さんだったら、笑うにしてももっと静かに笑うはず。
「もう、そんなに笑うなら帰ります!」
 今度は頬は膨らまさず、唇を尖らせて顔を背ける。
「わ、ごめんごめんごめん!」
 回れ右して歩き出そうとしたが、左腕を正悟君に掴まれて引き止められ、それ以上離れる事ができない。
 ちょっとだけ後ろを向くと、今まで散々笑っていた正悟君の顔はきりっと引き締められていて、何の準備もないまま見てしまった私の心臓は、びっくりするくらい激しく音を立てて駆け出した。
「しょ、ごくっ……」
 上手く言葉を話せない私の腕をぎゅっと握って、正悟君は私を引き寄せる。
 ますます早くなる鼓動と、この状況に付いて行けなくて、私の頭の中はぐちゃぐちゃにこんがらがっていた。

「ごめん、もう笑わないから……」
 そう、さっきより苦しそうに囁く正悟君の唇は私の耳元に。左手は私の右腕を掴んだままで、右手は私の背中に……要するに、私は今、彼に抱き締められている、と言って良いのか?
 混乱する頭で必死に理解して、私は顔に熱が集まっていくのを感じていた。
 私の顔、絶対に真っ赤になっている。
「しょう、くん」
 本当は見られたくない顔だけれど、このまま身体が密着している状態が続くのにはもっと堪えられない。
 私は両手で正悟君の肩を押して離れようとしたが、それに反して彼は腕に力を込めて、離してくれそうにない。
「わ、私まだ帰らないよ、だから」
 離して下さい、本気で。このままでは、心臓がいくつあっても足りそうにないんです。
 心で訴えかける声が聞こえたのか、正悟君は両手で私の肩を掴んで、そっと胸を離した。
 そして私の顔を覗き込むと、探るような瞳に私を映し込んだ。

「本当に?」
「う、うん」
 早く開放して欲しくて、私は頭がくらくらするまで何回も頷いた。
「そっか……」
 眩暈でふら付く私を支える手だけ残して、ゆっくりと離れていった熱に心底ホッとする。
 離れた後、「ごめんな」ともう一度囁くような声を落とした彼に、私は「大丈夫だよ」の意味を込めて今度は横に首を振る。
 しかし正悟君は「そうじゃなくて」と気まずそうに言葉を濁す。
「なあに?」
「いや、その……」
 正悟君は掌で首を撫でて他所を向いた後、私に視線を戻して言った。

「いきなり、抱き締めたりして……」
 それを聞いた途端、下がりかけた熱が、再び急上昇したのは……言うまでもない。


「ショウちゃんの馬鹿!」
「だからゴメンてば!」


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2007 Yumeko Yume all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-