「そうだ、忘れてた!」
「どうした?」
目前に自分の家が近付いている事に気付き、私はハッとしてスカートのポケットに手を突っ込んだ。
右、左と探って、結局鞄の外ポケットから取り出した透明の石――のような物。それを掌に乗せて、正悟君の前に差し出した。
最初は不思議そうな顔をしていた正悟君だったが、石を見た途端、驚きの表情に変わる。
「それ! どこで見付けた?」
「最初にすれ違った時に落ちてたの。やっぱり、しょう君のだったんだ」
私の親指ほどの大きさのそれは、正悟君の手の中できらりと光った。
「返さなきゃってずっと思ってたんだけど、何だか忘れてて……」
やっと手渡せた、と胸を撫で下ろした私の前で、正悟君はじっと手の中を見詰めたまま動こうとしない。
「正悟君?」
「ん? ああ、ありがとう。拾ったのが麻美で良かったよ」
正悟君はにこりとして、私の頭に手を置いた。
よしよし、と小さな子供にするように優しく頭を叩かれ、私は顔に熱が集まっていくのを意識せざるを得なかった。
「それ、綺麗だね。それに何だか不思議な感じがする」
照れを紛らわせるために話題を逸らす。
わざとらしかっただろうか。正悟君は、いかにも可笑しそうに笑っていて、作戦に失敗した私はむっと唇を尖らせた。
「何か可笑しい事言ったかな?」
「いいや、言ってない」
彼はもう一度小さく笑って、手の中の透明な煌きを私の目の前に翳した。
「これは水晶。それも普通の水晶じゃなくて、風使いの力を最大限まで引き出してくれる、お守りのような物さ」
「そんなに大切な物だったなんて……もっと早く返せば良かったね」
しかし正悟君は首を振って、静かに微笑んだ。例えるなら、そよ風のような――。
「これは確かに大切な物だけど、麻美が気にする事じゃないよ」
そして、正悟君はもう一度「ありがとう」と言って再び歩き出す。
私は少しの間ボーっとしていたが、彼が立ち止まって振り返ったので、慌てて隣に駆け寄った。
この優しい彼が、大人の男が逃げ出すほどの殺気を放っていたなんて……一体誰が想像できるだろうか。
「私の家、これなの」
駆け寄った時の勢いを緩めて、私は一歩二歩と彼の前を歩いた。私の指先を見上げ、正悟君は「ほー」と感嘆の声を上げる。
「綺麗な家だなあ」
「立て替えたばかりだから……」
私の家は、去年建て直したばかりだから、汚れも破損もない、ピッカピカの新品。
外観も少しこだわりがあって、所々レンガ調のタイルを使ったり、ヨーロッパ風の飾りを付けたりと、全体的に可愛らしいデザインになっている。
この家を建てる際に、私も色々と口出しをしたから、それを褒められるとやっぱり嬉しい。照れ照れと視線を足元に落として答えると、彼はまた「へー」と声を上げた。
「そんなに珍しいかな?」
「俺の住んでいる所は古い町だから、こういう洋風の建物より日本建築の方が断然多いんだ。だから、少し珍しい」
「ふーん」
正悟君の町って、どんなだろう。
彼のように、不思議な力を持った人が沢山いると言っていた。きっと、その人達に負けないくらいには、不思議な町である事には違いない。
「さあ、今日はここでお別れだ」
他の家よりも少し高い位置にある屋根をぼんやりと見詰めて、見た事のない町を思い描いていた私の思考に、正悟君の声が割り込んだ。
声のする方を向くと、彼は既に浮かび上がっていて、薄く風を纏っていた。
「さっきはありがとう!」
消えてしまう!
慌てて先程のお礼を言うと、正悟君は相変わらずの笑顔で片手を上げた。
「こちらこそありがとう。明日からは気を付けるんだよ?」
「うん、そうするね」
私は照れ笑いしつつ頷いた。それが合図だったように、正悟君に巻き付いた風がぐんと強くなる。
「またね」
正悟君はその声だけ残して、風の中に消えてしまった。
きっと今頃、高い空の上を漂っているのだろう。いや、もしかしたら既に公園に戻っているのかもしれない。
「……また明日」
届かないと知りつつも、正悟君の「またね」に返事をした。呟いた声に返事をするかのように、弱い風が腕を掠めていく。
その瞬間、彼に声が届いたような気がして、私は思わず口元を歪ませた。
「変なの」
きっと気のせいだろうに、むず痒いようなその感覚は、その後も暫らくの間治まってくれなかった。