翌朝、私はいつもより三十分も早く家を出た。
向かった先は勿論、未だ完全に目覚めていないあの公園。
狭い遊歩道を走り抜けた先に目的の人を見付けると、私は大きく手を振った。
「ショウちゃん、おはよう!」
「え、麻美?」
広場に突然飛び込んで来た私に対し、正悟君は叩けば取れてしまうのではないかと思うほど、目を真ん丸にして驚いた。
「え、ど、い、こっ……!」
「何て言いたいのか分からないよ」
やはり、正悟君は驚いたり怒ったり……とにかく興奮すると、思考に言動が追い付かなかったり、逆に言動に思考が追い付かなくなったりするらしい事だけは、今、はっきりと理解した。
数秒待っても、なかなか正常な言語を取り戻さない正悟君に少し困っていると、私の肩がぽんと叩かれた。目の前の正悟君しか存在を確認していなかった私の心臓は、途端に飛び跳ねる。
「『どうして今、ここにいるんだ?』とでも言いたいんだろう」
「ひゃ! び、びっくりした……だ、大悟さん、おはようございます」
「おはよう」
背後からぬっと現れた大悟さんが、早速翻訳してくれた。
彼の突然の登場に、激しく動揺している心臓を抑えつつ正悟君を見ると、こくこく頷いて兄の言葉を肯定していた。どうやら、大悟さんの言った事、そのままらしい。
「俺も夕方来るものだと思っていたから、少し驚いている」
そう言う大悟さんだが、私には彼の表情から、驚いた様子を読み取る事はできなかった。
「なぜ、今来た?」
「いけませんか?」
訊き帰すと、大悟さんは方眉を寄せて怪訝そうな顔をした。
そして、「いけない事はないが……」と、歯切れの悪い物言いをしつつ、横目で正悟君を見遣る。
大悟さんの目線の先では、まだ復活を遂げていない正悟君の、あわあわしている姿。……こんな事で、大丈夫だろうか。早くも不安になってきたが、それを振り切るように頭を振って、私は精一杯笑って見せた。
「正悟君に宿題を持って来ました」
「宿題?」
ようやく正常な言葉を話した正悟君にほっとしつつ、私は鞄からルーズリーフを一枚取り出し差し出した。夕べ、勉強の合間に考えたものだ。
「夕方、私が帰って来るまでに、これをやってみて」
「お、おお……」
正悟君は戸惑いながらもそれを受け取り、頷いた。この反応では、まだ中身の意味は理解していないようだ。
隣で覗き込んでいる大悟さんの方が、「ほう」と口を窄めたから、彼は私の意図を解ってくれたと思う。後は任せておいても大丈夫だろう。
「最初から諦めるのはナシだよ。ちゃんと挑戦でたら、後でご褒美あげるからね」
「ご褒美?」
こういう事にはきちんと反応するんだ……。
正悟君の耳がぴくっと動いたのが確認できて、私は思わず噴出しそうになったが、何とか堪えた。
「甘い物は平気?」
「好き……だけど」
それなら問題なしだ。
自然と口の端が上がり、目尻が下がる。にんまりと笑った私を不審がって、正悟君は「な、何だ?」と少し仰け反った。
「美味しい物、買って来てあげるからね!」
半ば強引に小指を絡ませ、指切りをする。
大きめに腕を上下に振って、最後に下に振り下ろした勢いで指を離すと、私は来た時よりも小さめに手を振って一、二歩後ずさった。
「それじゃあ、そろそろ時間だし、私行くね」
「あ、うん、また後で……」
正悟君の返事を最後まで聞かない内に、私はくるりと振り返って走り出す。
「ちょ、麻美! これってー!」
「あ、やっと読んだみたいだね」
遊歩道を抜ける直前、広場から正悟君の叫ぶ声が聞こえたけれど、とりあえず今は気にしない事にした。
夕方、帰って来るのが楽しみだ。