恋風‐こいかぜ‐

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第43話 深まる謎



 あの日オレが見た事全てを話し終えると、少年はどこかショックを受けたような表情をして俯いた。
「そうですか……見られてたんですね」
「ゴメンな、勝手に」
「いいえ。気付かなかったこちらが悪いんです」
 そう言いながらも、彼の顔色は良くない。膝の上に手を組んだまま、顔を上げようとしない。
 暫らくの間、次の発言を待って黙っていたオレだが、とうとう堪えられなくなって声をかけた。

「そういえば、まだ名前を教えていなかったな」
 すると彼は顔を上げ、大きく開いた目をこちらに向けた。
「そういえば、そうですね」
 彼は頭の後ろに手を廻し軽く撫ぜると腰を浮かせ、離れた所に転がっていた木の枝を拾って戻って来た。
「風見正悟と申します。風見鶏の風見に、正しく悟ると書いて正悟、です」
 話しながら枝先で地面を引っ掻いて、自分の名前を書いて見せた。癖の少ない綺麗な字だ。
 オレも枝を借りて名前を書いてみるが、彼のように上手くは書けない。我ながら情けないが、ここは気にしない事にする。
「オレは、橘智。智慧の智を書いて、サトルと読む」
「サトルさん……」
「『兄さん』でも良いぞ。なんつって」
 自分で言ってて恥ずかしくなってきたぞ。
 冗談めかして笑うオレだが、正悟少年からは何の反応もない。流石に不安になって隣を見ると、彼はぽかーんと口を開けたまま固まっている。

「ど、どうした?」
 何か悪い事でも言ったか?
 内心ものすごく焦るオレに対し、正悟少年は相変わらずの呆け顔でこちらを見詰めている。
「あの……」
「あ、す、すみません。まさかそんな事を言って頂けるとは思わなかったので……。あの、良いんですか?」
 何と親しさとは程遠い言葉遣い。この距離を埋めるためなら、どんな呼び方だって許せそうだ。
「ああ、良いぞ。兄さんだって何だって、好きなように呼ぶと良い」
「本当ですか?」
 すると彼の表情は電気を灯したようにパッと明るくなる。
 正悟少年は、表情がころころ変わって面白い。彼を見ていると、弟がいても良いなと思えてくるから不思議だ。
「じゃあ、サトル兄さん……で、良いですか?」
 輝くような笑顔で訊ねられたら、例え嫌でもそうは言えまい。いや、嫌ではないのだが。むしろ嬉しいのだが。
 とりあえず、変な呼び方でなくて良かった。俺はひとまず安心して、歯を見せて笑って肯定とした。

「それじゃあ少年、作戦会議を始めたいのだけれど……良いかな?」
 気持ちを切り替え訊ねると、正悟少年も表情を引き締めて雰囲気を一変させた。この変身を見るのは二度目になるが、一体どこで覚えてきたのだろう。
 そんな事を考えるオレに構う事なく、彼は一つ頷いた。
「分かりました」
 彼は何者なのか。
 気になる事はあるが、今はそれを横に置いてやるべき事に心を傾けよう。
 全ては、この問題が解決してからで充分だ。


「つってもよぉ」
 確認も兼ねて現状を一通り挙げてみて、改めて思った。
「母さんに隙がねぇ」
 朝は早くに起床し、夜は十二時を回ってから就寝する。
 その間、買い物に行ったり大事な用がある時以外はずっと家にいるし、その買い物も生協の共同購入で済ませたり、オレや父さんに頼む事が多い。
 麻美を家から出したくないなら尚更、母さんは絶対に家から出ようとしないだろう。
 ほんの僅かな時間で良い。麻美を外に出してやる事ができたら……。
 しかし、その僅かな隙が見付からない。
 我が家の出口は玄関と、台所に設けられた勝手口。リビングの掃き出し窓からも外へ出られるが、そのどれもが母さんの目に触れずに使う事は不可能である。
 さて、どうしたものか。

「空でも飛べるなら簡単なんだけどなあ……」
 深い溜息に乗せて、人間には到底無理な願望を呟くと、正悟少年は弾かれたように顔を上げた。
「それだ!」
 両手を叩いた彼の顔はいやにスッキリしており、輝いている。
 しかしオレは、彼のひらめきに付いていけない。
「……あ?」
「だから、空を飛ぶんですよ! あーもー、どうしてそれが一番に出て来なかったんだ!」
 いや、『俺は何て馬鹿なんだ!』って感じで悔しがられても困るんだけど。
 つかお前、「空を飛ぶんです」って言ったよ……な?
「よしじゃあそういう事にして……」
「ちょっと待て」
 オレの混乱に気付かないのか、正悟少年はもう一度掌を叩き合わせて問題解決とし、議題を変えようとした。
 が、そうはさせない。お前の頭の中を見せてくれ。そして納得させてくれ!
 そう言いたかったが言葉が出てこず、少年の肩を掴んだまま見詰め合った。
「サトル兄さん、俺そういう趣味は……」
「馬鹿! オレだってねーよ!」
 軽く頬を染めて視線を逸らされ、オレは軽く怒鳴り付けて掴んでいた肩を強く叩いた。
 すると正悟少年は痛いと言いながらもケラケラ笑い出し、オレはまた声を荒げる事になった。

「ったく、クソ真面目な奴だと思ったら意外とおだってんのな、オマエ」
「ずっと気を張っていたら息切れしちゃいますよ」
 くすくす笑い続ける正悟少年の口元に、白い歯が覗く。
 それを横目で眺めて、オレは無意識の内に溜息を吐いた。
「そうなんだよなぁ。母さんもそれを分かってくれると良いんだけど」
「だったら伝えてみたらどうですか? 良い機会だと思いますけど」
「簡単に言うなよ。あの人に意見するなんて、命がけだぞ」
 母さんは、自分が一番正しいと思い込んでいる。「それは違うと思う」と意見するならば、耳が痛くなるほどの怒鳴り声か、逃げ出したくなるほどの長時間に亘る説教を食らう。
 ……想像するだけで気分が悪くなってきた。
「でも、今まさに、その中で麻美が苦しんでいるんですよね? まさか、このままという訳にはいかないですよ」
「……そうだな」
 分かっているが、母さんを変えるのは至難の業だ。
 それを分かって……いないだろうな。なんたって、正悟少年が母さんに会ったのは一度きりなのだから。

「とにかく一度、計画を立ててしまいましょう。それから麻美にもその内容を伝えて……」
「オレが伝えるのか?」
「……嫌そうですね」
「ああ、ものすごく」
 悪いな。感情が表に出やすい性格なんだ。
「だってよ、お前に会った事を何と言って伝えたら良いんだ。日曜日に二人を見かけた事は麻美は知らないんだぞ。なぜ少年の事を知っているんだという事になる」
「正直に話せば良いじゃないですか」
「駄目だ。麻美に怒られる」
「あなたいくつですか。まるで子供じゃないですか」
 少年は呆れたように息を吐くが、さっき散々その事で悩んでいたのだ。そう簡単に改心できるはずがない。

「頼むよ、少年から話してくれ。隙ならオレが作る!」
 両手を合わせ頭を下げるオレに、正悟少年はもう一度溜息を吐いてから、少しの時間を置いて口を開いた。
「仕方ない。分かりました」
「マジでか!? ありが……」
「ただし」
 少年は、礼を言おうとするオレの目の前に掌を翳し、ストップをかけた。
 条件を付けようとしている。お駄賃か? オレ今金あったかな……。頭の中で現在の所持金を数えていたオレを、少年は手をひらひら振って現実に引き戻す。
「よく聞いて下さい。条件を付けます」
「お、おう」
 おし、財布の中身はそれなりにある。小遣い程度なら渡せるぞ。心の準備を整え、少年の声を待つ。
 彼はオレがちゃんと聞いているか確かめ、次に周囲を見渡した。人目を気にしているのだろうか。誰もいない事を知ると、少年は静かに口を開いた。

「これから、俺がすること話す事全て、誰にも漏らさないで下さい。ご両親であっても話してはいけません」
「それが、条件なのか?」
「ええ。もしも、あなたのせいで他人に知られてしまったら……命はないものと思って下さい」
 おいおいおい、なんつー物騒な……冗談だろ? と思って少年が手を伸ばした先を見て、俺は固まった。
「マジかよ」
「嘘でこのような事は言いません」
 少年の手には、日本刀。ほ、本物なのか?
 無言の問いに答えるように、彼は鞘から抜いて銀色に輝く刀身を太陽に翳した。
「いつも手入れをしているので、切れ味は抜群ですよ。試してみます?」
「エンリョシマス」
 お前一体何者なんだ。
 その謎が更に深くなった。


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