恋風‐こいかぜ‐

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第44話 時計の針が重なる時


 間もなく時計の針が重なる。
 それに気付くと、オレは開いていた雑誌を閉じてベッドの上に放った。
 約束の時間だ。念のため、ドアの外、壁の向こうに耳を澄まして母さん達がいない事を確認して、窓の網戸をそっと開ける。
『日付が変わる頃、外を見て下さい』
 そう言われて、ひたすら待っていたのだ。
 身を乗り出して覗いた隣の部屋には電気が点いている。麻美は起きているようだ。
 さて、肝心の協力者はどこだろう。
 電柱の影、門の脇、生垣の裏……どこを見ても、それらしい影は見当たらない。
「っかしいな、確かに外にいるって言っていたのに……」
 まさか補導された?
 ……有り得る。最近は不審者も多いから、夜中まで警察が巡回していると言っていたし、何より彼は凶器を持っている。銃刀法違反や何かで捕まっても可笑しくない。

「間違ってもオレの名前を出すなよ」
 犯罪仲間と思われるのはごめんだ。
 オレは両手を組んで親指を額に押し付け、どこかの交番にいるかもしれない少年に念を送った。
「何してるんですか?」
「少年が警察に捕まった事を想定して、念を送ってるんだ」
「……そんな事、勝手に想定しないで下さいよ」
 オレの言葉に、溜息交じりの呆れた声が帰ってくる。
 ん? オレは今、誰と会話しているんだ?
 この家に男はオレと父さんだけ。ここは二階で、部屋にベランダは付いていない……。
 閉じていた瞼を恐る恐る上げ、額に付けていた手をゆっくりと下ろす。誰も、いない?
 いや待て、そんな事はないはずだ。今まさに、誰かと言葉を交わしたじゃないか。
 それとも何か? 幻聴か? ああそうか、そうだったのか。あはは、オレも痛い事するようになってきたなぁ……。

「サトル兄さん?」
 は、は……だから、これも幻覚だよな? それか夢か?
 嘘だよな。人が……正悟少年が、逆さに浮いているなんて、あるはずない、よな?
 少年は、激しく困惑しているオレを首を傾けて見詰めている。が、そんな不思議そうな顔をするんじゃない! 可笑しいのはお前だ!
「大丈夫ですか?」
 何がだ! お前こそ大丈夫なのか?
「お、おう」
 しかし、言いたい事が何故か言えない。
 右手を上げて笑ったが、口元が引き攣ったのが自分でも分かった。本当に何者なんだ、お前は。
 だが少年はオレの動揺など気にも留めない。窓枠に足を乗せ、顔だけを屋内に入れると彼は声を潜めた。

「ご両親は?」
「もう寝た。父さんのいびきが聞こえるだろ?」
 俺も声を潜めてドアの方を指すと、少年は軽く微笑んで頷いた。
「麻美は起きているようですね。灯りが点いている」
「おう。つかお前、どうやってここまで来た?」
 すると少年は笑みをより一層深くして、ニッと歯を見せた。
「何言ってるんですか。サトル兄さんが言い出したんじゃないですか」
「オレ何か言ったか?」
「空を飛べたらって、言いましたよね。だから、飛んできました」
 おいおいおい。何言ってんだよこいつ……と言えないんだな、これが。
 オレは少年の登場を見てしまっている。何もない所から逆様にぶら下がるなど、普通なら考えられないような現れ方をしやがった。
 これが、昼間言っていた『他言してはならない事』なのだろう。

「少年、お前は一体何者なんだ?」
「ただの人間ですよ」
「ただの人間は、宙に浮いたりしないぞ」
「そうですね、では訂正します。ちょっと変わった人間です」
 そらそうだけどよ……オレの知りたい事は、そんなものじゃない。何と言ったら聞き出せるだろうか。
 腕組みして考え込もうとしたオレの耳を、小さな笑い声が掠める。
「何笑ってんだよ」
「すみません」
 恥ずかしさもあって睨み付けてやるが、何の効果もないらしい。少年は相も変わらずニコニコ笑っている。
 しかしふざけた笑みはすぐに引っ込んだ。そして身体を支えていた窓枠の手を片方外したかと思うと、音もなく部屋の中へ入り込む。
「俺は間違いなく、列記とした人間です。……ただ、他の人にはない能力がある。それだけです」
「この事、麻美は……」
「知ってます」
 だから話しても大丈夫ですよ、とでも言うように少年は笑う。
 それから少し表情が変わり、隣室を気にするように瞳を動かした。

「もうこんな時間ですね。寝てしまう前に会いに行かなくては」
「気を付けろよ。母さんは物音に敏感なんだ」
「大丈夫、外から行きます。サトル兄さんも、麻美に知られたくない事があるんでしょ?」
 言いながら、少年は開けっ放しの窓に足をかける。そして何の躊躇いもなく外へ飛び出すと、彼の身体はふわりと宙に浮いた。
 見事だ。幻術を見せられているとしか思えない。
「今日はもう遅いので、報告は明日で良いですか?」
 感心する俺に、少年が小さく頭を傾ける。
 オレは半分持って行かれそうになっていた意識を引き戻し、歯を見せて右手を挙げた。
「おう、オレはそれで構わない。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
 少年が頭を下げ、隣の窓の前に移動する。彼が窓をノックしたのを見届けて、網戸を閉めた。
 壁の向こうから、麻美の驚く声が聞こえてくる。

 その声に口元を緩ませながら、オレはそっと呟いた。
「これで、少しでも事態が好転すれば良いんだけどな」
 少年は、その良き縁になってくれるだろうか。


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