恋風‐こいかぜ‐

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第47話 雲の山


『今日は行かなくて良いのか?』
「行く暇なんか、今はないだろ」
 傍らで訊ねる風希に、俺は溜息混じりに言葉を返した。
 どんなに気になっていようと、今はそちらに時間をとられている場合ではないのだ。明日までに確実に麻美を連れ出そうと言うのなら尚更の事。
 俺は風希の首を軽く叩き、前方に伸びる道の先を睨み付けた。
「待たせているんだ。何としても成功させる」
 独り言のような俺の声に、風希は一つ息を吐き、鼻を鳴らした。
『仕方がない。今回限り、付き合ってやる』
 俺は少しの間、驚きで瞳を見開いていたが息を吐くと同時に、頬の緊張を緩めた。
「生意気な奴」
『お前に言われたくないな』
 いつものように減らず口を叩き合いながらも、ふたりの間にいつものような刺々しい空気は微塵たりとも存在しなかった。

 これなら上手くいくかもしれない。いや、何としてもやり遂げて見せる!

 気合を入れ、いま一度行く先に睨みを利かせて一歩を踏み出すと、少し遅れて風希も付いて来た。
 それに対して知らず笑みを浮かべ、俺は歩く速度を上げた。目指すは、眼前に聳える山の頂。

 俺達に与えられた、最後の機会の始まりであった。


 今日は朝から風が強い。
 天気予報を見るが、台風が近付いているようでもないらしい。
 まあ、異常気象が多発するこの頃であるから、今日のように原因も分からず強風が発生するのも、特別おかしな事でもないのかもしれない。

 絶えず揺れている木の枝から目を外し、手元に意識を戻した。
 私は今、正悟君に言われた通りに作成した、『お母さんに伝えたい事リスト』を見下ろした。
 もっと友達と遊びたいとか、外出を許して欲しいとか、いくつか挙げてみたけれど、どれ一つとして聞いてくれそうなものはない。そのような場面を想像できないのだ。
 今日幾度目とも知れない溜息を吐き、木製の机に突っ伏した。

 正悟君は、明日必ず来てくれると言った。来て、私をここから連れ出すと。
 しかし、そうする事に何の意味があるのだろうか。夜中、家族が寝静まった頃にこっそり抜け出して、外の空気を満喫して、またこっそり帰って来るのでは大した意味を成さないと思うのだが……。
 そうだ、正悟君もそれでは意味がないと言っていた。では、一体どういうつもりなのだろう。
 何か思う事があるのだろうが、私には彼の考えなど何一つ読み解けない。
 ひんやりとした感触が心地よかった机だが、次第に温くなってきて涼がとれなくなったので、仕方なくのそのそと身体を起こした。
「やめよ」
 考えても、分からない事は分からないのだ。そう言い訳して、考える事を放棄した。

 頬杖を突いて窓の外を見ると、遠い上空を強風に流されていく鴉を見付けて、思わず口元がにやけた。
 その向こうに聳える雲の山。あの白い大地のどこかに、正悟君がいるのだろうか。
 今頃何をしているのだろう。それを思うと溜息が零れるが、無意識に出るそれをさして気に留める事もない。

 明日。明日になれば、彼に会える。
 それまで私は自分に出来る事に心を尽くすまでだ。


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