恋風‐こいかぜ‐

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第51話 暁の訪問者


 昨日の早朝、寝ているオレの元に正悟少年が訪れた。
 彼は寝ているオレの瞼をこじ開け、昨夜の事をあれこれ話していたような気がしたが、半分寝ていたので良く覚えていない。
 しかしこの言葉で、オレの意識は一気に覚醒した。

「明日の夜、麻美を連れ出します」
 そう言う少年の瞳は、淡い光を受けて力強く輝いていた。その輝きに圧され、一瞬そのまま流しそうになったが……
「ちょっと待て、明日? 今日じゃないのか?」
「今話したでしょう、これから明日まで自由になれないんです、って。聞いてなかったんですか?」
 なぜか責めるような眼差しを受けている俺だが、いや、違うだろう。責められるべきは夜が明けたばかりの早朝に突然やって来たお前だろ? 時計を見ろ。朝の四時半だぞ、四時半。もしかして、まだ太陽も昇っていないんじゃないか?
「まあ良いや。話を進めましょう」
 不服を視線に込めて睨み返す。寝起きで機嫌が悪いから怖いぞーと思ったが、少年は恐れるどころか無視をして、あっさり話題を変えた。とことんマイペースな奴だ。

「連れ出すまでは、多分問題なくできると思うんです。心配なのはその後の、ご両親の事です」
 真面目な話をする時は、あくまでも真面目な表情をするらしい。
 灯りのない室内に、今にも昇りそうな朝日が薄い光を届けている。そのなかに浮かぶ、整えられた少年のシルエットがやけに幻想的に見えた。
「ご両親の事は、サトル兄さんにお願いしても良いですか?」
「お、おう」
 何を言われているか解らない内に返事をしてしまって、オレは慌てた。
 その後の両親の事。それは即ち、取り乱す両親を静める役目。そんな事、オレにできるのか?
「な、なあ、オレ何したら……」
「その時の状況によりますが……そうですね、まずは警察を呼ばないように。あまり事を大きくしたくありませんから」
 その理由として、少年は「騒ぎが大きくなると、麻美を帰しに来れなくなるから」と述べた。
 確かに、人として少し――いや、かなり変わった能力を持つ少年は、なるべくなら大勢の人の前に出たくないのかもしれない。
「解った、やるだけやってみる」
「ありがとうございます」
 安堵の溜息を吐き、顔の緊張を若干和らげた少年に、オレも知らず口元を緩ませた。

「それでは、行って来ます」
「おお、何しに行くかは知らんけど、気を付けてな」
 できれば、後で良いから何の目的でどこへ行くのか教えて欲しい。そう思って声をかけようと振り返ったが、その時既に少年は窓枠に足をかけ、外へ出ようとしている所だった。
「なんつー格好してんだ」
 これまで灯りのない部屋にいたせいで、服装までよく分からなかったが、彼の格好は昨夜見たような洋服ではなく、腰までの丈の短い和服に、同じく短めの細い袴という独特の井出達をしている。
 唖然とするオレに、少年は顔だけを向けて苦笑した。
「後で余裕があったらお話しします」
 つまり今は聞くなと。
 しかし逆に言えば、条件こそ付くものの『後からなら話して良い』と言う事になる。
 ならばオレはこう言うしかないだろう。
「余裕がある事を祈ってるよ」
 ベッドの上から声をかけるオレに、少年はまた一つ小さく笑って挨拶に代えると、窓枠から飛び降り視界から消えた。


 それから約二十七時間が経つ。
 さて、どうしたものか。麻美が連れ去れ、呆然と立ち尽くす両親を横目に、オレは腕組みして考えた。
 両親のどちらかが電話機に向かって来るだろうから、それに備えて電話線を親機から抜いてしまう。これで防ぎ切れなくても、少しは時間稼ぎができるはずだ。
 さあ、どう来る。
 母さんが振り返り、オレはぐっと身構えた。
「お兄ちゃん、どうしましょう……麻美が、麻美が!」
「母さん落ち着いて」
 駆け寄って来る母さんの肩を押さえて宥めながら、いまだ庭に佇む父さんを窺った。
 父さんは、正悟少年の存在は母さんから聞いて知っていたようだが、まさか娘を連れて行ってしまうとは思ってもみなかったようだ。
 その上……
「あの麻美が……」
 ようやく口にした言葉は、受けた衝撃の断片でしかない。
 大人しくて、聞き分けの良かった麻美が、これまで溜め込んで来た不満をぶちまけたのだ。彼女の心を少しも知らなかった両親が、ショックを受けないはずがない。

「そうだわ、警察……警察を呼ばなきゃ!」
「待って。あまり騒ぎ立てると、麻美が帰って来れなくなるかも知れない」
「じゃあどうしたら良いって言うの?」
 予想通り、受話器に手を伸ばしかけた母さんの前に片腕を出して引き止める。そして、動揺している母さんの前に回り込むと、少年が言っていた事を少しだけ言葉を変えて言い聞かせた。
 すると母さんの手は意外にもあっさり引っ込んだが、代わりに責めるような目がオレを見詰めていた。
 オレは一つ息を吐き、母さんと父さんに順番に視線を走らせると、口の端を横に引いて努めて笑みを作った。
「少し待ってみよう。少年に悪意はないようだし、何より麻美が少年を信頼して、自ら彼の元へ行ったんだ。少しは娘の判断を信用してみない?」
 娘の判断、信用。このワードが、思いの他効いたようだ。
 二人は渋々だが、意外にもあっさりと俺の意見に賛成してくれた。

「戻って来たら、ちゃんと話を聴いてあげたいね」
「……そうね」
 ちらりと見た母さんの横顔は酷く落ち込んでいるように見えたが、その声色は表情の割に明るく、微かに希望を感じられた気がした。


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