モジャモジャ。
そう、その人はまさにモジャモジャと呼ぶに相応しい人だった。
……人かどうかはこの際置いておいて。
「おうおう、良く来たな。まあ座れ」
「…………」
モジャモジャさん(仮)は大きな岩の上から私達を手招き、すぐ近くに並べられた丸い石を勧めた。
正悟君はモジャモジャさん(仮)を睨み付け、無言で石に腰かけ隣に私を座らせた。
「何だよ、折角山に入れてやったのに、無愛想な奴だなあ」
「誰のせいだ誰の!」
「良いのか? 風神様に向かってそんな口利いて」
「つか、どうしてお前が……」
「聞いて驚け!」
するとモジャモジャさん(仮)は自慢げに胸を反らし、鼻を鳴らす。
その瞬間、正面にいた私に強風が直撃して、対応しきれずに引っくり返ってしまった。
「あ、わり」
「馬鹿かお前!」
雲ひとつない空を見ながら、私も思った。
正悟君の態度は、風神様に取るそれではない。
「怪我ない?」
「うん大丈夫。ありがとう」
正悟君の手を借りて起き上がると、いつの間にかモジャモジャさん(仮)は岩の上から降りて来ていて、私達の側にしゃがんでじっとこちらを見詰めていた。
「な、何か?」
「あんたさぁ、正悟の彼女?」
「そうだけど」
「うわっ、ゆる」
ゴスッ。
とても良い音がした。
その光景は、決して良いものとは言えないが。
先程の私同様、引っくり返るモジャモジャさん(仮)。私と違うのは、顎が微妙に赤くなっていることくらいだろうか。
「『ゆる』……?」
拳を握り締め、モジャモジャさん(仮)を見下す正悟君の背中からは、いつかと同じ恐ろしげなオーラが出ていた。
「ゆ、ゆるせねぇ……」
「ふーん」
あ、とモジャモジャさん(仮)の口が開いたが、既に遅かったようだ。
正悟君の足がモジャモジャさん(仮)の腹に振り下ろされた。
「ゴフッ」
日頃の鬱憤を晴らそうとするが如く、それはそれは思い切り。
「あ、あの、ショウちゃ……」
「麻美はあっち向いて耳塞いでて」
痛そうなんですけど。
しかし言わせてはもらえず、くるりと後ろを向かされたと思うと、両手を掴まれ耳に押さえ付けられてしまった。
その直後、
「ギャーッ!」
耳をつんざく悲鳴は、掌をすり抜けて私の鼓膜を激しく揺らした。
振り向……けなかった。
なぜなら、ドスッ、とか、ガスッ、などといった鈍い音が続いているのだから。
「これは俺の遠い親戚。この町に住んでる風使いだよ」
「どうも、赤城雄太です」
深々と頭を下げたモジャモジャさん(仮)改め赤城さんは、頬に痣を作り、頭にたんこぶまで作っている。
何があったかは……聞かないでおこう。
「赤城さんが風神様?」
「まあね」
「じい様はどうしたんだ?」
「旅行中」
「それで代理って訳か」
「まーね」
自分の事なのに、まるで関心がない様子で、赤城さんはひとつ伸びをした。
腕を降ろす途中、「いてて」と呟く声が聞こえた。
「風神様って、人間なの?」
私の問いに、赤城さんが不思議そうな顔をした。
もしかして、変な事を聞いてしまっただろうか。
「人間だよ。『風神』は役職名だと思えば良いかな」
「なあ、この子」
「雄太」
何やら言おうとした赤城さんを、正悟君が掌を突き出して制した。
「余計な事言うなよ」
「は? 余計な事って……」
「ここに入れたのはお前だからな」
「あ? ……あ」
何かに気付いたのか、赤城さんの顔が見る見る強張っていった。
「さあ、用事も済んだことだし、そろそろ行こうか」
「え? あ、うん」
正悟君は爽やかに微笑み、私に手を差し出した。
私はその手を取り立ち上がると、すっかり青くなった赤城さんに振り向いた。
「お前ら、何しにここに……」
「お前が人をおちょくるから、殴りに来た」
ああ、やっぱり殴ったんだ。
既に分かっていた事だったので、引くでも怯えるでもなく、納得してしまった。
赤城さんは青い顔をますます青くして、正悟君を指差した。
「人でなしー!」
赤城さんの声は裏返り、山から飛び立った私達の足元から、遥か遠くまで響き渡った。
「大声なんか出して、恥ずかしい奴」
「ねえ、どうして赤城さんは青くなったの?」
正悟君の首にしがみ付くと、彼は「んー」と何か考える声色で唸った。
「さっきも話したけど、あの山は普通、人が入ってはいけないんだ。入れないように、風神が守っていなければならないんだよ」
「でも、入れたよね?」
「それはあいつの失敗。じい様に知られたらあいつ、今日の三倍は顔を腫らす事になるんじゃないかな」
そう言って笑う正悟君は、とても楽しそうだ。
それはあんまりではないか。そう思って睨み付ける。しかし、
「嫌いになった?」
そんな事を言われたら、私は何も言えなくなる。
「ならない」
「そう、良かった」
そして寄せ合った額は、とてつもなく甘く熱い響きを脳にもたらした。
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