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恋風‐こいかぜ‐

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第57話 不安と恐怖を抱く時


 川辺の土手に腰を降ろして、水の流れをぼんやりと眺める。
 正悟君は右隣に寝転がり、吹き抜ける風に長い前髪を泳がせている。
 穏やかに、そして緩やかに時が流れていくのを感じながら、私はそっと息を吐いた。
 こんなにも心地良いのに、私の心はこんなにも重い。
 これから、私はどうしたら良いのか。
 その答えが、未だ出せずにいる。

 自分の気持ちを家族に打ち明けるのか、打ち明けないのか。
 正悟君との関係を明かすか、明かさないか。
 家に帰るのか、帰らないのか。

 昨夜ぶちまけた叫びの意味を、正しく伝えたい。しかし、それをするには勇気がいる。
 これまでずっと避けてきた、『両親対して率直に語る』をしなければ、私の気持ちを伝えるなど到底不可能である。
 正悟君との事も、昨日あのようなことがあっては、両親は彼に対して良い印象を持っているはずがない。
 正直に話しても反対されるのが目に見えている。
 しかし、このまま付き合い続けようとするなら、いつかは打ち明けなければならない事である。
 問題の先送りが、解決をどれだけ難しくしてしまうのか、よく解っているからここで打ち明けなければと思うが……やはり怖い。
 何が怖いのかは解らないが、とにかく怖いのだ。
 考えるだけで手が震え、胸が圧迫されて息苦しくなる。
 どれだけ風が髪を撫でて慰めても、川の音が全てを押し流そうとしても、次から次へと腹の奥から黒いものが湧いてきて思考を満たす。
 無性に何かに縋りたくなって、私は咄嗟に自分の膝をきつく抱き締めた。

「麻美?」
 急に動いたのが気になったらしく、正悟君は横になった体勢から首だけ持ち上げてこちらを見たようだった。
 私は震える身体を押さえ、少しずつ彼の方へ顔を向ける。
 と、正悟君は私の顔を見るなり眉をひそめ、腹筋の力だけで起き上がるとぐっと顔を近付けてきた。
「どうした?」
 訊ねられ、私は唇を開くのを少し躊躇った。
 膝を抱えた腕を解き、すぐそこまで近付いた正悟君の掌に触れた。
 彼は特に驚くこともなく、そのまま背中に腕を回してやんわりと抱き締めてくれた。
 そして何度か背中を擦られている内に、苦しかった呼吸が正常に戻り、震えも次第に治まっていった。


「怖いの」
 ようやく発した声は、酷く掠れていた。
 正悟君は背を擦る手を止め、顔を覗き込んできた。彼の淡い色の瞳を見詰め、私は言葉を続けた。
「拒絶されてしまったらと思うと、家に帰るのがとても怖いの」
 そうだった。
 自分の発言に納得して頷く私がいる。
 身体が震える程まで恐れていたのは、家族に――お母さんに、拒絶され嫌われてしまう事がとても怖いのだ。
「でもね、今までと同じなのも嫌なの」
 魂のない、人形のようだったこれまでの自分。
 ようやく命を得たのに、それを手放してこれまでの窮屈な生活に戻るなんて、考えただけで溜息が出る。

「私、私……」
 帰らなきゃ、帰らなきゃ……
 胸の中で繰り返す叫びは、喉元で留まり舌の上を転がるのを躊躇しているようだ。
 一度は治まったはずの震えが再び私を襲い、恐怖の思いはますます膨れ上がる。

 ポン。

 大きな手が頭を叩いた。
 顔を上げると、正悟君は眉を寄せて私を見詰めていた。目が合うと、その真剣な眼差しはふわりと微笑みに変わる。
「しょ……」
「大丈夫だよ。だってさ、思い通りにならなかったからと言って、自分の子供を嫌いになると思う?」
「俺だったら絶対にないな」と言って、彼は笑った。
「そうかな?」
「そんなに気になるなら、確かめてみれば良いじゃないか」
 それは自信満々に言うので、私は少しムッとして言い返した。
「簡単に言わないで。私は不安で堪らないのに」
 正悟君は小さい子供にするように私の頭を撫で、指で髪の毛を梳くって駆けてきた風に流した。
 くすぐったいような、むず痒い感覚が気になって頭を振ると、彼の手の動きが止んだ。

「どんな事も、まずは飛び込んでみるべきだよ。外から見て怖がってばかりいたら、物事のありのままの姿なんて解らないだろ? それこそ、蕎麦屋のおじさんが言ってたように少し『自分勝手』になっても良いと思うよ」
 そして頭上の手は髪を滑り、頬を一撫でするとそこに居場所を見出して落ち着いた。
 その手の持ち主はやはり笑みを湛えていて、その表情に、私は一瞬不安を忘れて見入ってしまっていた。
「大丈夫。誰が否定したって誰が嫌ったって、麻美の居場所ならここにある」
 ぐいっと引き寄せられて正悟君の胸に顔を寄せると、そこには確かな鼓動と温もりがあった。
 頑丈な胸板に耳を当てると、彼の声が強い振動となって耳に届いて、私の脳を微かに揺さぶった。
「だから、安心して、思ったようにやっておいで」
 その震えに、私は愛しさを感じて思わず涙が溢れそうになった。
 ひょっとしたら、彼の襟元を滲ませてしまったかもしれない。

 いつもなら慌てて慰めにかかる正悟君だけれど、今回ばかりはただ抱き締めるだけだった。
 私にはそれが、とても安心できて、『ありがとう』と『大好き』の気持ちがいっぺんに込み上げてくる。
 たっぷりある気持ちの、どれを言葉にしたら上手く伝わるだろうか。
 暫し考えて、やんわりと抱く彼の腕を抜け出すと、しっかりと筋肉が付いた首に腕を回して、薄い耳朶に唇を寄せた。

 一言。たった一言を、そよ風に攫われそうなほど小さな声で囁く。

 すると、正悟君は少し驚いたような顔をして、それから優しく、励ますように笑ってくれた。


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