恋風‐こいかぜ‐

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第59話 手紙はポストに


 麻美がいなくなってから、家の中の空気はいつもに増して重苦しいものになっていた。
 母さんは延々泣き続けるし、父さんもソファに座って下を向いたまま、一言も喋ろうとしない。
 あの時開け放たれた窓は閉めたが、吹き込んだ風に倒された置物はそのままだ。
 麻美が大粒のビーズと針金だけで作り上げた、天使の人形。それをもとあった場所へ戻し、オレは両親に振り向いた。
「ちょっと出かけてくる」
 返事の代わりに視線を送ってくる二人に内心溜息を吐きつつ、オレはリビングのドアを閉めた。

 心配なのだろう。
 麻美の気持ちを無視してきたとは言え、実の親子なのだ。
 娘が無事なのかどうか、気になるのは当然の事と言える。
 だからと言って、オレまで巻き込んで暗くなるのは止めて欲しいが。


「さてと」
 肩を上下させ、オレは深く息を吐いた。
「ここで良いんだよな」
 立ち止まったのは、以前少年と麻美が一緒にいる所を目撃した公園の入口。
 人気など全くと言って良いほどないこの場所に、オレは何者かによって呼び出された。
 警戒……するべきなのだろうが、どうしてかそんな気になれずにいる。
『本日昼過ぎに公園にて待つ』
 その一文しか書かれていない怪しげな紙切れが、今朝オレの元に届いた。
 これを見た瞬間、身体は総毛立ち一瞬で目が覚めたのを良く覚えている。
 あれはあまり気持ちの良いものではなかった。
 こういう物は封筒に入れてポストに。いや、せめて枕元でも良い。
 とにかく、どれだけ気付いて欲しかったのか知らないが、天井に画鋲で貼り付けるのは止めて欲しかった。
 ピンが根元まで天井に刺さっていたせいで、これを取り外すのに思いのほか手間取り、朝から腕がだるくなってしまったのだ。
 犯人の目星は付いている。正悟少年だ。
 あの野郎、会ったら一言ガツンと言ってやらねばなるまい。

「おーい、来てやったぞー!」
 公園に入るなり、声を張り上げる。
 が、返事がない。
「おい少年」
 もう一度呼びかけてみるが、やはり何も反応がない。
「何だよ、人を呼び付けておいて自分は遅刻かよ……」
 どこまでも自分勝手な奴だ。
 後ろ頭を掻き溜息を吐くが、まさか帰る訳にもいかない。
 オレは仕方なく、木陰に置かれた木製のベンチに座って少年が訪れるのを待つことにした。

 それにしても暑い。
 今が一番暑い時間帯だと思うと、体感温度は余計に上がる。
 早く用事を済ませて冷房が効いた屋内へ避難したい所だ。
 それにはまず、少年が来ないといけないのだが……残念ながら、彼の姿はどこにも見当たらない。
 人がいる事はいるのだが、それは一番遠いベンチで本を読んでいる男であり、顔を伏せているから解り難いが少年とはあまりにていないと思う。
 関係者である可能性も皆無ではない。しかし、オレがどんなに大声を出して少年を呼んでもピクリともしない程集中している男に声をかけるような度胸はない。
 しかし珍しい。この公園に誰かと居合わせるなんて滅多にないのに。
 そう思って男の横顔を見遣る……

「あ」
「……どうも」
 オレの存在に気付いていないと思っていたら、気付かれた。
 男はこちらを見ていて、目が合うとぺこりと頭を下げた。
「ど、どうも」
 愛想笑いを浮かべて会釈を返すと、男は本を閉じて立ち上がった。
 そして、何だ何だと思っている内に、彼はオレの隣に来て何事もなかったように腰を降ろした。
「暑いですか」
「ええ、まあ……」
 何なんだこいつ!
 真夏にこんな事訊いてくるなんて、少年に負けず劣らず変な奴だぞ。
 内心ものすごく動揺して絶叫するオレに、男は「ふーん」と抑揚のない声で相槌を打った。
 それがまるで「そうなんだ、別に興味ないけど」と言っているようにも取れて、イラッとした。
 しかしここでキレるほど子供ではない。
「何なんだお前は!」と叫びたくなるのをグッと堪えて、オレは男に話しかけた。

「ところで、待ち合わせか何かですか? このクソ暑いのに大変ですね」
「別に。……これくらい平気です」
 ……自分は辛抱強い方だと思っていたが、それは単なる思い込みだったと今知った。
 何だこれ、ものすごくムカつくんですけど。
 無表情な上に、感情が篭っていない声と、反抗期真っ只中の高校生のような言葉遣い。
 そっちから近づいて来ておいて、その態度は失礼だと思わないのか。
 貼り付けた笑顔が引き攣り、剥がれそうになるのが解る。
 これ以上、この男が気に障るような事をしたら、間違いなくオレはキレる。
 たまたま公園に居合わせただけの通行人Aを相手に怒鳴るような真似はしたくない。
 少年はまだ来ないし、来る気配もない。暑さで脳みそも沸騰しそうな事だし、一度この場を離れて本屋で暫らく涼んで来よう。
 そう考え、立ち上がった。

「どこへ行くんですか」
「……どこだって良いでしょ」
 何で初対面の男にそんな事を話さなければならないのだ。
 イライラを剥き出しにして言葉を返すが、男は驚いたり怯んだりする事なくじっとオレを見詰めている。
 彼に一瞥をくれて、立ち去ろうと歩き出したその時、低い声が園内に響いた。
「『本日昼過ぎに公園にて待つ』」
「……は?」
 一瞬何の事か解らなかった。
 オレは思わず足を止め振り返ると、男は顔を正面に向けたまま言葉を続けた。
「弟が迷惑をかけて済まなかった」
「弟? ……まさか!」
 正悟少年の兄か。
 男はこちらに顔を向け、静かに頷いた。

「正悟の兄、風見大悟」
 男は立ち上がり、固まり動けないオレに向かい合った。
「麻美は……」
「元気にしている。今日は家の近くを散策しに行った」
 見上げた男の目線を追って、オレも青い空に浮かぶ入道雲を仰いだ。
 ソフトクリームのような形の大きな雲は、まるで山のようにも見えてくるから不思議だ。
「家の様子は」
「あー、麻美がいなくなってからは、葬式みたいに真っ暗。父さんも母さんもウザく思えるほど暗くて、オレも何度か巻き込まれそうになった」
「そうか」
 感情が読み取りにくい喋り方は、この男の癖なのだろうか。
 表情を見ても何を考えているのか、いまいち解らない。

「橘さんの状態にも寄るが、明日にでも彼女を帰しに来たいと思う」
「明日?」
 男の表情から感情を読み解こうとしていたオレは、突然視線を合わせられ、悪戯が見付かりそうになった時のような気持ちになり咄嗟に目を逸らした。
 花壇の雑草が風に揺れるのを眺め、それから改めて男の方を見た。
「麻美はそれで大丈夫なのか?」
「本当はもう少し休息が欲しい所だが、こちらもあまり時間がない。もうじき、ここを離れなければならなくなる」
 まさか連れて行く訳にもいかない。
 そう言って、男は木陰に入ると小さく息を吐いた。
「そちらに不都合がなければ、明日の夜に連れて来ようと思うのだが」
「麻美が大丈夫ならオレは何だって良いけど……」
「そうか」
 だが、本当に大丈夫なのだろうか。
 麻美の様子を直接見ていないので、どうしても心配は拭えない。

「それでは明日」
 一人考え込むオレを気にする様子もなく、男は背を向け出口へ歩き出した。
「あ、ちょっと! 麻美は本当に……」
「心配は無用だ」
 呼び止め問おうとすると、男は足を止め振り向かずに言った。
「家の者は皆、彼女を歓迎している。言いたい事も言っているようだから、特に不自由もないだろう」
「……そうか」
 それならば大丈夫だろうか。
 正直、心配が完全に消えた訳ではない。
 しかし、もし男の言う事が本当なら、大丈夫かもしれないと思えてくる。

 自分の思考に入り込み、視界がぼやけた。
「あ、そうだ。あの手紙どうやって……」
 天井に貼り付けられた手紙が、どうやって届けられたのかを知りたかったのだが、顔を上げた時には既に男の姿はなかった。
「チッ、何だよ。文句でも言ってやろうと思ったのに」
 明日会ったら、「次があるならポストに頼む」と言ってやろう。
 勿論、母さん達の目を忍ぶ事も忘れずに。


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